著者: エイム研究所 矢野 弘
● 多大なコストをかけても使えない 個別原価実績のシステム
至る所の工程での、実績を収集するためのコンピュータなどの端末やソフトウエアの投資は、かなりの金額になってきます。実績収集だけだともったいないので生産計画と生産指示の機能も付け加えて、指示に対しての実績を収集したくなります。ますます投資金額は多くなるのですが、計画→指示→実績と何となく格好が良いので、これを行った企業は多くあります。
しかし現在では、ほとんどの企業は多品種少量生産で、トラブルも多く、計画どおりに生産が進まないのが実情です。数量は個別に実績収集できますが、人の時間を製品別に収集するのは至難の業(わざ)です。結果的に、監督者が適当に工数を製品別に振り分けて入力してしまいます。
原価計算のために工数や生産実績がシステム上、経理と連動してしまった企業では、うまくいかなくても、やめようにもやめられない困った状態も見られます。
入力した以上は出力することになります。この時に生産性の指標で「能率」が計算されて出てきます。正しく実績をとらえて入力されればよいのですが、正確にすればするほど、小さな工数も区分していかなければならず、記入ミスや入力ミスで結果の能率の数値が信じられない値になります。
経理から「能率」が悪いとか良すぎると言われても、製造現場は言い訳しかできません。
「能率」を上げるとコストダウンになると思っているので、より正確さを求めます。ところが、能率を計算するための給料の高い監督者の多くの手間は無視されています。原価低減が目的なのに、高価なシステムと多くの手間と多くの紙を出力したのではコストダウンとは逆のコストアップになります。ましてや個人能率給などに、とてもではないけどできません。
● 何もしなくても「能率」が悪くなる
「能率」は、標準工数に対してなので、途中で標準工数を変えられると、何もしなくても「能率」が悪くなったりします。例えば、簡易的にも自働化した場合は工数が削減されるため、原価計算では削減された値ほど標準工数を変更します。
自働化で実績の工数も下がるのですが、標準工数も下げるため「能率」は良くなりません。生産性としては上がっているのですが、能率を生産性の指標として使おうとすると納得できません。
そのため、過去からの「能率」の推移を見ようと、最初に設定した標準工数をどんなことがあっても変更せず、計算するように定義を変えてしまっている企業がほとんどです。
しかし、これでは経理としては標準工数で原価計算ができなくなり使えなくなります。苦肉の策で初期の設定した標準工数を「基準工数」という、変えてはいけないような名前を付けて能率計算するようにした企業が多くあります。
● 「能率」という数値を上げるための行為が 会社を駄目にする
数値目標で評価されると、どうしても良く見せようとして、悪いことをする人が出てきます。例えば同じモノを連続してつくり、つくりすぎて在庫が増えても気にせずつくらせたり、直接作業に本来は従事していない監督職が作業していたり、昼食や休憩時間に作業しても工数の実績には入れなかったりと、見せかけの能率向上をする人がいます。
個人的なことと思うのでしょうか、経理や役員から能率向上の圧力がくると、人はこのようなことをしてしまいます。
このようなことをすると、現場の人たちはいくら給料が上がるといっても昇進したくなくなります。そして会社も嫌いになります。
標準工数を活用する企業は、当たり前のように能率計算をします。何十年も慣例で計算して結果を配布すると、たとえ人事異動があって監督職が変わっても指標は引き継がれて、同じ行為をしてしまいます。他に「能率」より勝る生産性の指標がないと、使い続けられ止めることができない文化になります。
そもそも「能率」という%の数値は次元がないため、相対比較の見方になります。いくらもうかったとか、工数を何分削減したとかの絶対値ではないので、計算の定義を自分の都合の良いように分子や分母を変えていくことができます。操作ができるような指標にしてしまうと、人はよほどの人格者でない限り、いつか悪い行為をします。しなくても、言い訳ばかり言う人になります。
次元のない%は、傾向を見るための分析データとしては使えますが、目標とする管理指標としては使わない方がよいでしょう。